あの東日本大震災が発生してからちょうど3年。被災された方にとってはまだ3年
だと思います。僕の3年前は平日でしたのでいつも通り午後の仕事の準備がてら、
テレビを点けていました。するとテレビが大きな地震発生を告げました。震源地が
東北であるらしいと。まさかあんな大惨事になるとは思いもよりませんでした。その
うち三陸で大津波警報が発令されたと聞いて、仙台に嫁いだ妹に連絡を取ろうとし
ましたけど当初繋がりませんでした。しかし何とか親父が連絡とってあちらの家族の
安否が確認できたのは翌日のことでした。昼間だったので妹は自宅からちょっと離
れた体育館、息子は小学校そして旦那さんは市内の会社だったそうです。会社は16
階フロアにあったそうでもの凄い揺れだったみたい。震度5は経験したことがあった
そうですが、震度6は初めてだったらしくその規模は全然違ったらしいです。旦那さ
んは当日三陸方面に若くして亡くなった友人の墓参りへ行く予定だったそうですが、
何か事情があって延期になったらしく事なきを得たらしいです。もしそのまま墓参り
へ行っていたなら間違いなくあの津波に巻き込まれていたに違いありません。旦那さ
ん曰く「亡くなった友人が守ってくれたんだろう。」と後々話して下さいました。
震災当初、職場やゴルフ場を通じて何度か義援金を送りました。昨年はヤフーの
ブログメンバーが東北に集まって復興のために少しでも役に立てればということで、
ゴルフコンペが開催されそちらに参加させて頂きました。
だと思います。僕の3年前は平日でしたのでいつも通り午後の仕事の準備がてら、
テレビを点けていました。するとテレビが大きな地震発生を告げました。震源地が
東北であるらしいと。まさかあんな大惨事になるとは思いもよりませんでした。その
うち三陸で大津波警報が発令されたと聞いて、仙台に嫁いだ妹に連絡を取ろうとし
ましたけど当初繋がりませんでした。しかし何とか親父が連絡とってあちらの家族の
安否が確認できたのは翌日のことでした。昼間だったので妹は自宅からちょっと離
れた体育館、息子は小学校そして旦那さんは市内の会社だったそうです。会社は16
階フロアにあったそうでもの凄い揺れだったみたい。震度5は経験したことがあった
そうですが、震度6は初めてだったらしくその規模は全然違ったらしいです。旦那さ
んは当日三陸方面に若くして亡くなった友人の墓参りへ行く予定だったそうですが、
何か事情があって延期になったらしく事なきを得たらしいです。もしそのまま墓参り
へ行っていたなら間違いなくあの津波に巻き込まれていたに違いありません。旦那さ
ん曰く「亡くなった友人が守ってくれたんだろう。」と後々話して下さいました。
震災当初、職場やゴルフ場を通じて何度か義援金を送りました。昨年はヤフーの
ブログメンバーが東北に集まって復興のために少しでも役に立てればということで、
ゴルフコンペが開催されそちらに参加させて頂きました。
さて3年経った今、まだまだ被災された多くの方が被災地に戻ることが出来ず仮設
住宅や県外に避難されています。特に原発事故で放射能汚染のために戻ることが出来
ない地域の方々のご苦労は僕には想像できないものではあります。現在僕はブログと
は別にフェイスブックに登録しています。もちろんブログ関係で知り合った方とあち
らでも繋がっていますけど、他に浪人時代、高校時代、大学時代そして現在の仕事関
係の方ともたくさん繋がっています。その中に東北のK市で独立して小さな会社を開
設していた大学時代の友人T君がいます。彼は大震災に巻き込まれてしまった1人
で、彼とは卒業後は全く疎遠だったわけですけどフェイスブックで繋がって、その時
初めていろいろと震災の時の話を聞くことが出来ました。放射能汚染によって妻子を
妻子の実家があるドリーム地方に彼は避難させました。そして彼が興した会社ですが
残念ながら閉鎖してK市で再びサラリーマンとして働いています。彼は放射能汚染で
避難を希望している社員のことも考えて重大な決心をしたそうです。(彼が会社を続
けることで社員が避難する機会を奪ってしまうのではないか?と考えたそうです。)
また彼はいつかドリーム地方に移住を考えているそうで、彼の移住のお手伝いを僕が
出来る範囲で出来たら良いなと思っていました。そして僕の交際範囲は狭いわけです
けど、お手伝いが出来そうな信頼できる友人を紹介しました。幸い自然エネルギーを
利用する考えが双方で一致した模様で良い方向に向かっていきそうです。まだまだ先
が長そうですけど、これからも応援していきたいと思います。大したことではありま
せんけどブログの良さ、フェイスブックのそれぞれの良さをこの震災で経験したよう
な気がします。最後になりますが、あらためてお亡くなりになった全ての方のご冥福
をお祈りするとともに1日も早い真の復興を遂げられることをお祈りしたいと思いま
す。
住宅や県外に避難されています。特に原発事故で放射能汚染のために戻ることが出来
ない地域の方々のご苦労は僕には想像できないものではあります。現在僕はブログと
は別にフェイスブックに登録しています。もちろんブログ関係で知り合った方とあち
らでも繋がっていますけど、他に浪人時代、高校時代、大学時代そして現在の仕事関
係の方ともたくさん繋がっています。その中に東北のK市で独立して小さな会社を開
設していた大学時代の友人T君がいます。彼は大震災に巻き込まれてしまった1人
で、彼とは卒業後は全く疎遠だったわけですけどフェイスブックで繋がって、その時
初めていろいろと震災の時の話を聞くことが出来ました。放射能汚染によって妻子を
妻子の実家があるドリーム地方に彼は避難させました。そして彼が興した会社ですが
残念ながら閉鎖してK市で再びサラリーマンとして働いています。彼は放射能汚染で
避難を希望している社員のことも考えて重大な決心をしたそうです。(彼が会社を続
けることで社員が避難する機会を奪ってしまうのではないか?と考えたそうです。)
また彼はいつかドリーム地方に移住を考えているそうで、彼の移住のお手伝いを僕が
出来る範囲で出来たら良いなと思っていました。そして僕の交際範囲は狭いわけです
けど、お手伝いが出来そうな信頼できる友人を紹介しました。幸い自然エネルギーを
利用する考えが双方で一致した模様で良い方向に向かっていきそうです。まだまだ先
が長そうですけど、これからも応援していきたいと思います。大したことではありま
せんけどブログの良さ、フェイスブックのそれぞれの良さをこの震災で経験したよう
な気がします。最後になりますが、あらためてお亡くなりになった全ての方のご冥福
をお祈りするとともに1日も早い真の復興を遂げられることをお祈りしたいと思いま
す。